さてさてゴールの大阪城に向かって、ポイントも距離の割にはあとわずか。
ちょっと見どころが少なく、歩くことに集中しちゃいそうですね☆
コースを外れない様に気をつけながら気ままに歩いていると…目の前に近鉄線の高架が…
((((;゚Д゚))))))) あ、あれ?
いつの間にか「細工谷遺跡」を通り過ぎてしまった様です。
マップをよく見ると、コースから少し外れたところにあったのですかね…
戻ろうかとも思いましたが、思えば入れなかったりチラ見しただけのポイントもあるので、ま、いっかと先に進みました。
ちな、「細工谷遺跡」を調べてみたら広域の遺跡みたい。
そりゃわかるわけないですね。祠くらいはあったかもしれませんが。
この遺跡で和同開珎の枝銭(日本最古の貨幣を製造する過程で使われたもの)が全国初の発見となったそうです。「百済尼寺」と記された墨書土器や瓦、金属加工に関連した遺物や7世紀末の通貨富本銭、尼の父の名前を記した木簡など、飛鳥時代から奈良時代を中心とするさまざまな資料が見つかっているとのこと。
気にしても仕方がないので、先に進むと「産湯稲荷神社」がありました。
道行く参加者の方々は、もはや興味がないのかほとんどスルーw
比売許曽神社の旧地とも言われている伝承のある神社だそうで、境内の古い井戸が社名の由来となった「産湯の井戸」。昔は渾々と湧きだす清水が庶民の飲料水として使用されていたと言われています。神代に由来する清泉で日高清水・日高真名井だとか。摂津名所図会大成に「水気軽く、佳味にして精鉄、外に溢れ、四時涸れることなし。所謂、逢坂増井よりも抜群にすぐれたちかや」とされています。落語「稲荷俥」の「産湯」が指す所と言ったほうが親しみあるかも。
大日本帝国陸軍騎兵第4連隊跡地で、現在はスポーツセンター(プール・アイススケート)、野球場、テニスコートが設置されている。公園は大坂冬の陣で真田信繁(幸村)が活躍した古戦場として旧真田山陸軍墓地があるとのこと。
公園といっても、公園らしい広場や遊具はわずかで、おもにスポーツ用施設としてグラウンドやテニスコートがあり歓声が聞こえます♪
花などを愛でながら通り抜けました☆
続いては「玉造日之出通り商店街」です☆
横から入って北に抜ける感じ。
玉造日之出通商店街は北商店街、中商店街・南商店街と、3つのエリアで構成されているとか。古き良き昭和を感じさせる、細い路地の様なレトロちっくな商店街ですが、真田人気にあやかって熱い商戦を繰り広げている様です。
真田に関係付けられた商品や呼び込みがずらり(^▽^)にぱっ♪
なかなかどうして、キョロキョロと歩くだけで楽しかったです☆
そしていよいよ「鵲森宮」です。
位置的には森ノ宮駅のすぐそばと、ついに大阪城のすぐ近くまで帰ってきました〜☆
鵲森宮(かささぎもりのみや)、通称を森之宮神社はここの地名の由来ともなっている神社で、聖徳太子の命により新羅へ渡った吉士盤金が2羽の鵲を持ち帰り、難波の杜で飼ったという伝承があり、「鵲の森」から名前がきたそうです。
さあ、通りを渡ると大阪城公園です。
帰ってきました!ε-(´∀`; )はふー☆
残るポイント「豊國神社」を拝したら、天守閣前でゴールです♪
ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(  ̄o ̄)┘ らすとすぱーとぉ☆