ぞろぞろと歩きながら大阪城を出て、最初のポイントへ向かいます。
ゆっくりとしたペースなので、あっという間にペースマンに追いついてしまうかと思いましたが、そこはシティウオーク。。。信号が行く手を阻みます。
結構赤の時間が長いので、列がどんどん分断されますw
まぁ、地元でもあるし、マップなしでもおよそ道に迷うことはないのですが、いくらチェックがないとはいえルートアウトは面白くありません。
およそ分断された隊列を追いかけ繋ぐ様に、ちょこちょこ大阪人歩き。
ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(  ̄o ̄)┘ すたたたた♪
ウオーキングスタイルをしてこなかったので、私を端から見てもゼッケン見えなかったら完全に普通の通行人ですwww
周りを見れば結構スローペース。浮いている感もあり、このブログ用のカメラとLINE実況用のスマホを掴み、次第にのんびり歩きの観光モードとなりました。
ともあれ、中央大通りを渡り、難波宮跡を横目に路地へ入ります。
この路地には歴史街道みたいな名前があったはずですが、失念(^へ^;)ごめん。
「カトリック玉造協会」はわかりますが、その手前に「越中井」みたいなのあったかな…と見回していると。
信号の手前にひっそりとありました。
この辺りに、細川越中守忠興の屋敷があり、越中井はその細川屋敷内の台所にあった井戸と言われています。忠興の官位であった越中守からそう称されるようになったとのこと。ちな、細川越中守忠興の正室が明智光秀の娘で、キリスト教信者として有名な洗礼名ガラシャです。
意外にほとんどの方がポイントをチラ見するだけでスルー。
ウオーキングが目的なのか、気がつかないのか、見るほどではないと感じられたのかw
数組の方々がカメラを向けたりとするだけの様でした。
そして、すぐに「カトリック玉造協会」。
やはり、数人がカメラを向けるだけで、皆黙々と歩いています。
そこが見どころと(ポイント)と気づいていない…ように感じます。
大阪カテドラル聖マリア大聖堂のある協会です。当初は聖アグネス聖堂が建てられいましたが、戦災によって焼失。ザビエル来日400年記念の年に聖フランシスコ・ザビエル聖堂が建設され、現司教座聖堂「聖マリア大聖堂」へとなったとのこと。敷地が細川大名家の屋敷跡とあり、細川ガラシャ辞世の句碑などを見ることができます。
たしかに寺社仏閣の様にわかりやすいものではないかもしれません。。。
次のポイント「玉造稲荷神社」では、お参りしたり、境内を散策したり、写真を撮ったりされる参加者の姿もありましたので、マップの裏にこそ写真入りで説明もありますが、ニッチなポイントは、もう少し見どころのPRがあってもいいのかもしれません。
参加者の大半がジモピーで、わざわざ見るほどのものではないだけかもw
垂仁天皇の御代に創建され、当時は比売社と称していたとのこと。蘇我氏と物部氏の戦いでは、聖徳太子がこの地に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたと伝えられています。大坂城の三の丸に位置していることから、豊臣家に大切にされ、戦火で荒廃した時も豊臣秀頼により社殿が再建されました。
なるほど、それで豊臣秀頼像がでーんと立っているのですね(^o^)
さて、次は大坂城の出城「真田丸」があったとされる真田山の「三光神社」です。
反正天皇の御代に創建された神社とされています。武内宿禰の末裔の武川氏が神職として奉職し、代々受け継がれているとのこと。社殿の下には大坂城から当地までの抜け穴とも真田丸を攻めた前田軍の塹壕とも言われる痕跡があるそうです。
真田信繁(幸村)にあやかってか、いろいろオシているようす( ^ω^ )
さて、お参りして…
次のポイントへGO!
ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌( ^v^)┘